錦町一丁目町会
錦町とは
護持院は元禄元年(1688)、時の五代将軍綱吉の信仰保護のもとに一ツ橋から錦町にかけて建立された大伽藍である。綱吉と生母桂昌院が深く帰依していた湯島知足院の僧、隆光のため、神田橋外のこの地に五万坪を持って知足院を移し、筑波山護持院元禄寺と改称して建立された。将軍母子の庇護のもとで隆盛をきわめたが、亨保2年(1717)正月の大火で堂宇が灰燼に帰すと、その後は再建されず同寺を大塚にある護国寺の域内に移し観音堂を「護国寺」と称し本坊を「護持院」と改称させ、あとに残った寺地は「護持院ケ原」と呼ばれる火除地となり一番原から四番原まであった。
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