松本亭と松本フミ
明治7年当時、全国各地では民権運動(国会開設上願等)が盛り上がり、土佐の立志社・板垣退助が、副島種臣、後藤象次郎、江藤新平等の各地の自由主義団体・政治結社に呼び掛けて全国組織、愛国社を設立(明治8年2月・本部東京)。松本志げの夫、松本秀発は上野彰義隊出身で九段に住み、当時の不平士族らに共鳴し、愛国社の設立に参加した。愛国社の規約に「大政の由って出る所と天下の形成事情とを察し、一般人民の利益を謀る等のことを協議討論し、および何事によらず各社に報知することを努むべし」とあり、愛国社に参加した各県各社は、毎月2、3回は期日を定めて東京に社員を出張させた。そこで彼らが宿泊や集会をする場が必要となり、松本志げは夫秀発にかわって、明治8年に錦町一丁目四番地(現東京電機大学6号館の場所)にあった手頃な旅館を買い、彼ら志士たちの宿泊及び集会所にあてたのであった。
一方松本フミは、明治15年12月11日に松本志げの長女として誕生する。明治30年頃の田中正造の足尾銅山鉱毒事件の闘争までは、松本亭はいかなる事件にもまきこまれなかったが、明治36年8月に松本志げが死亡、その時フミは23歳になっていた。以後明治・大正・昭和の三代に亘り、フミと松本亭は時代の荒波に呑み込まれていく。
(参考文献『神田錦町 松本亭』川合貞吉著 1977學藝書林)
【松本亭に関与した主な人物】
田中正造 奥宮健之 幸徳秋水 管野スガ 石川三四郎 中江兆民 頭山満 犬養毅 宮崎滔天 内田良平 古島一雄 緒方竹虎 中野正剛 大野伴睦 孫文 岩田愛之助 ラス・ビバリー・ボース 栗田確也 岩波茂雄 三木武吉 鳩山一郎 大杉栄 木村武雄 遠山景光 犬養健 尾崎行雄 吉田茂
【松本亭が関与、又は、関連した事件・運動】
自由民権運動 足尾銅山鉱毒直訴事件 普選運動 大逆事件 桂内閣打倒運動 浪人会 辛亥革命 ラス・ビバリー・ボース亡命事件 阿倍政務局長襲撃事件 大隈首相暗殺未遂事件 学校改革運動(明治大学) 石工組合乱闘事件(死者8名) 運送業者鉄道省襲撃事件 五・一五事件 中野正剛自決